NOVEMBER20のDIARY 『素直さへの衝動』

 
 自分はよくわかりやすくて、明るい前向きな性格だと言われるが、本当はそんなことはない。どんなツライ目にあっても、失敗をしても、怒っても、一晩寝ればすぐに忘れて次ぎのことにかかれる(いつでもそうではない)。どんなにイヤなことがあっても、仕事だけはきっちりとこなしていける(仕事はしないと困るからしているだけだ)。マイナスをすぐにプラスに切り替えていかれる前向き指向だから、いつも明るくしていられる。よく他者からこう見られる自分の像が最近疎ましい。
 人からわかりやすい性格だとも言われる。すごく単純明快な論理思考をしていると思われているが、自分ではこの素直でない性格が災いして何度となく痛い目にあっている。それをはっきりと言わなければわからないだろうにという事を言わずにまったく逆の意志表示ととられて失敗した例は数多くある。もう少し自分の性格が素直であれば、もっともっと生きやすいのに思うこともしばしばだ。
 私は、父を小学生の時に、母を高校にちょうど上がる頃に亡くしている。だから、成人する前に両親を失ってしまったのだが、それはそれでうまくしたもので、私の家には祖母や叔母たちがいたし、姉もいたこともあって女手には困らなかった。父親が子供を育てるのはとても難しい作業だが、女性が一人でもいればそれがたとえ実の母でなくても愛情さえあれば子供は何の問題もなく育てられる。そうやって私も育てられた。大学生になった時、そんな私の家庭環境を知った友人たちが口々に言った。「お前は、そんな環境に育ってるんだから、絶対に早く結婚して、子供をしっかり作ってマイホームパパになるよ」。ほとんどの友人が口を揃えて言った。しかし、私はこのアドバイス(?)とも評論(?)ともつかない周りのコメントに内心猛反発した。「冗談じゃない。何がマイホームだ。何が早く結婚するだ。こうなりゃ意地でもまったく正反対のことをやってやる」。
 まあ、こうした態度は単にアマノジャクということであって、それほど複雑な心理状況ではないのだが、本当に自分の心の奥底をしっかりと見つめると、では、そういった友人たちの言っていた言葉のように、私の中に健全な家庭像、しっかりしたマイホ−ム像、父親像というものがなかったかと言うとそうでもない。「寅さん」ファンの私は、義理人情や家族の絆といったホームドラマがたまらなく好きだ。しかし、そんな義理人情なんかカッコ悪いと思っていた若い頃の自分は、「寅さん」やホームドラマが好きだなんてあまり言えなかった。その屈折した感情は、その後の人生でも同じような形で尾をひいている。好きであっても好きだと言えない、いざ追い掛けられるとすぐに逃げてしまう、まるで「寅さん」のような素直でない性格が何度災いしたことかと思う。
 今でも、よく人に公言することがある。日曜日が嫌いだということ。日曜も含めて祭日すべてが嫌いなのだ。自分の母親が父親の正妻ではなかったこともあって、小さい頃私が父と会えるのは本当に不定期なイベントだった。子供心に、そのいつ来るのかわからない父親が来た日が思いっきりイメージの中で膨れ上がってしまうので、たった一月に一回の出来事であっても父の思いでというのはものすごく大きな形でインプットされている。おそらく、数カ月に1回ぐらいしか来なかったかもしれない父親が、いつの間にかいつもいつも自分の側にいたような錯覚を覚えさせていた。ただ、いくら父への思いが大きくても、日曜日というのは毎週いや応なく訪れる。その日曜のたびに友達が家族と一緒にどこかに行楽に行くのを見るのがつらかった(外で働いていた母親は日曜日にも家にはいない)。おそらく、そんな私と弟を気づかって家族や親戚の誰かが時々私たちを連れ歩いてくれてはいたはずなのだが、そういう記憶はまったくない。それよりも、ごくごくたまにしか来ない父が訪れる日だけが異様に記憶の中で膨れ上がっている。こんな少年期のトラウマが自分の性格をかなり素直でないものしてしまった。なのに、人は私のことを明るいひたすら前向きな性格だと言う(このジレンマがつらいと言えばツライ)。   
今、遠い過去にこの世を去った二人の親のことを思う。そして、二人に対する評価は自分の中で複雑ではあるけれども、未だにこの二人の親を自分は超えられていないんだなとも思う。経済的には母が家族を育てていた。その分を祖母が補う形で育児をしていた。しかし、父親は何にもしていない(まるでネコのオスのようだが)。しかし、何にもしていないというのは間違いで、私にも弟にも確実に何かを残している。それが、若い頃はマイナス要因しか自分の中でなかったものが、今はそうでもない。やはり、この父親があったから、この母親があったから今の自分がいるのだなとはっきりと自覚できる自分がいる。性格がわかりやすいかわかりにくいかは絶対的な価値基準がないので何とも言えないことだが、やはり性格も生活も親があって初めて子供がいる。死があって生がある。あの親があってはじめて私という人間がいるというごく当たり前なことがもう少し早く素直に理解できなかったものかなと今頃になって「素直でない」自分を後悔している。そのために失ったものの大きさを考えると。

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