OCTOBER14のDIARY 『牛とテロ』

 
 昔、アメリカに住んでいた頃トウモロコシ泥棒をしたことがある。日本から来た友人がトウモロコシをどうしても取ってみたいというのでつきあった。別に、トウモロコシ泥棒といっても、およそ日本とはケタ違いの広大な畑に無数に栽培されているトウモロコシを数本とってくるだけのこと。それをとってきたからと言って、農家の人が私たちを本気で咎めるわけもないし、第一気づくはずがない。ただ、その時、私は面白いことに気がついた。取ってきたトウモロコシがまったくおいしくなかったということだ。街のマーケットで買ってくるトウモロコシはあんなに甘くておいしい味がするのに、畑でとってきたトウモロコシには何の味もない。まずいとかおいしとかいう次元の問題ではない。まったく味がない。 翌日、アメリカ人の友人にその話しをしたら笑われた。それもそのはず、私たちがとってきたトウモロコシは家畜の餌になるもので、人間が食べるはずのものではなかったのだ。実際、アメリカ中で栽培されているトウモロコシの80%以上が人間の食料用ではなく家畜の餌になるものだという。 今回のアメリカのテロと、ここ数年騒がれている狂牛病の問題でこの昔の記憶が蘇ってきた。
 狂牛病の問題。これは、単に牛の病気の問題ですまされるほど簡単な問題ではない。ヘタをすると、人類や地球の存続に関わる重大な問題だ。そして、それは、この牛の病気が人間に感染するとかしないというレベルの問題でもない。それは、牛の肉を食べるという人間の行為の根本的な意味を問う、とてつもない大きな問題でもある。
 現在、地球上で飼われている牛の数は、人間の総数を越えている。その牛一頭を飼育するのに一体どれだけの土地と資料が必要か、普通、私たちはあまり考えない。しかし、これを考え出すととんでもない事に気づかされる。牛一頭に必要な土地は2ヘクタール。しかも、たった百グラムのハンバーガー用の肉を作るのに、およそ100キロあまりの植物、そして100種類ほどの昆虫、他の動物が犠牲にされる。 なぜかというと、牛の放牧地や牧草を作るのに、熱帯雨林やその他の林が切り倒されなければならないからだ。今、深刻になっている熱帯雨林の問題や土地の砂漠化の問題の最大の原因は牛の飼育にある。現在地球上で栽培されているトウモロコシや大豆などの穀物の七割以上は、人間の食料ではなく牛などの家畜の飼料に使われている。比較的狭い場所でも飼育できる豚や鶏と違い、牛は広大な土地と広大な草原を必要とする。この餌と場所を提供するために、人間は自分たちの住む環境を削ってまで牛たちに場所と餌を供給し続けているわけだ。牛と食べるという目的のためだけに、たくさんの森林が削られ、たくさんの餌としての食物を生産していかなければならない。
 牛を食べるのは、ほとんど先進西欧諸国だ。それらの人たちの食料のために、地球上の貧しい人たちの土地が奪われ、そして地球そのものの環境も危うくされている。 牛を飼育し、森林を破壊して、土地を痩せ衰えさせて何の作物も育たない環境にして、牛のふん尿で大量のメタンを発生させる(これが、地球温暖化の原因の二酸化炭素を発生させることになる)。ただ、だからといって、こんな深刻な問題をマックでハンバーガーを食べながら考える人はいないし、焼肉を食べる瞬間に考える人もいないだろう。でも、この問題、これから先おそらく人類は避けては通れない。狂牛病が問題になっているのは、ヨーロッパ、アメリカ、オーストラリア、そして日本などの先進国だ。先進国、特にイギリスとアメリカが起した問題のツケを地球全体が支払わされている。 なぜなら、牛の食肉文化を地球上に蔓延らせたのはそもそもイギリスであり、それの土壌になったのがアメリカの広大な土地だったからだ(十八世紀にスペインの牛をアメリカに運んで育てたのは、イギリスの銀行家たちで、バッファローやインディアンを全滅させたのも彼らだ)。二十世紀は、東西のイデオロギーの争いだったが、二十一世紀には、右だ左だなどといったのんきな事は言っていられないだろう。地球の大部分の土地に住む七割以上の人たちが、三割にも満たない富める連中の胃袋を満たさなければならないなどと考えたら、今のアフガンの人たちのように、この地球の環境破壊や飽食のすべての原因を作った張本人のアメリカという富みの象徴をぶち壊してしまいたくなるのも無理はないと思う。今回の戦争を、イスラムとアラブの「民族戦争」「宗教戦争」だとくくってしまうのは間違いだと思う。民族間の紛争、宗教上の紛争なら何千年も昔から行われている。それよりも、問題なのは、アフガンの「貧しさ」とアメリカの「富み」の間にある埋められない溝と意識のずれだ。ニューヨークという大都会に住んで、一頭の牛がどれだけの環境を破壊しているか、都会という生活空間がどれだけ貧しい人たちの生活を圧迫しているかをまったく感じることなく、きれいなレストランで肉を食べているアメリカ人が、その彼らのテロによって殺されていくというのは、二十一世紀の地球の問題の象徴であり、私たちが何を考えなければいけないかを示唆している。 それを、「テロには正義の報復を!」と、西部劇のように「懸賞金つき」で、西部劇のヒーローのように敵はアフガンだ、敵はテロリストだと叫ぶブッシュとそれに拍手を送るアメリカ人の姿は、かつての西部開拓時代の野蛮なアメリカの姿とまったく変っていない。自分たちは正義で、悪はあの貧しいアフガンだと拳を振り上げる国が、本当は自分たちこそが地球を滅亡に導いた張本人だということにまだ気づかないのだろうか?鯨を滅ぼしたのもアメリカだ(アメリカはかつて最大の捕鯨国だった)。 牛の飼育の邪魔になるからという理由でバッファローとインディアンを大量に虐殺していったアメリカ人のどこに正義があるというのだろうか?かつてのアメリカの大ヒットTV西部劇に『ローン・レンジャー』というのがあった。ロッシーニの『ウィリアム・テル』序曲がテーマ曲として使われていた日本でも人気のあった西部劇だ。その中で常套句として使われるフレーズが、『白人みな悪い』というセリフ。
 本当にそう思う。

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