SEPTEMBER 20のDIARY『しぶやはテーマパーク?』

 

 おそらく前回の奇跡を信じていた人もたくさんいただろうが(私もわりと信じていた方ではあったけど)やっぱりブラジルには勝てなかった。まあ、当然の結果と言えば当然の結果なのだろうけど、とりあえず決勝リーグに出られるだけでもヨカッタのだろう。ふだんあまりTVを見ない私も多少はTVと接する時間が増えるのはイイことなのか悪いことなのかよくわからないが、理屈ぬきに興奮できるのはオリンピックだからなのだろう(同じスポーツでも、オリンピックでなければ、ふだんは見向きもしないものが何と多いことか)。
 昨日、あるミーティングに呼ばれて、渋谷ネタの企画のブレストに参加した。ブレストというのは、普通の人にはあまり聞き慣れないことばかもしれないが、要するに、何か新しい企画なり新商品を開発する際に、いろんな人たちから意見を聞いたりして企画やプロジェクトをまとめるためのご意見会議みたいなモノだ。以前、大手の代理店からこの手のブレストに呼ばれて、お車代などという税金のかからないギャラ(と言っていいのかどうか?)をもらって帰ることが多かったが、最近の不況のせいか、その手に呼ばれることはめっきり減った。昨日のは、そういう類いのものとは違い、純粋に新しい企画のためのご意見ミーティングみたいなもので、人数も少人数だったせいか、単なる井戸端会議のようで面白かった。
 ひとくちに渋谷と言っても、一体どこからどこまでを指すのかはっきりしない。「しぶや」と言ったら、渋谷区の意味ではないことだけは確かだ。 でも、それでは一体どこまでを「しぶや」と言うのか?おそらく、例の渋谷のど真ん中の交差点から四方に伸びるお店が途切れるあたりまで、松涛の住宅街、道玄坂から南平台のあたり、そして宮益坂を越して表参道のちょっと先、明治通りを原宿あたりまでとその逆の恵比寿に向かい東交番あたりまでが多分限界のけっこう狭い範囲のことを指しているに違いない。私がなぜこんなに渋谷に詳しいかと言えば、それは単純に地元だからということだけのことだ。 渋谷の富ヶ谷に実家があり、小学校から大学まで全部渋谷区内ですませたエラくお手軽な狭い範囲で育ってきた人間だからだ。こんなに渋谷に縁があれば、渋谷に詳しいのも当たり前と言うものだ。それでも、渋谷は実に不思議なマチだと思う。何が不思議かと言えば、今現在の渋谷はあんまり街とは素直に呼べないような街になっているからだ。
 元来、街というのは、子供から年寄りまで、いろんな年齢層やいろんな仕事の人、いろんな目的の人が雑居しているのが街の姿だと私は思っている。その定義からすれば、渋谷は少々街とは言い難い。あまりにも若い人たちの姿が多すぎて、それ以外の年齢層の人たちの姿が見えないからだ。その点、銀座、新宿、池袋、六本木の方がまだいろんな年代、いろんな職業の人たちが雑居している。原宿などは、さらに年齢層が低くなる。こうなると、もはや街という概念は通用しなくなる。 何か一種のテーマ・パークと言った方がいいかもしれない。そうだ、遊園地だと思えば話しは簡単なのかもしれない。あの一角だけがテーマパークで、あの若い人たちは、そのテーマパークに遊びに来ているのだ。
 たまに、自分の実家に帰る時、渋谷の街並みを抜けて歩いていくと、松涛の脇を抜けたあたりから急に人影が少なくなり、店もまばらになる。というよりも、普通の地味な商店しか見かけなくなる。その商店のほとんどが自分の同級生がやっていたりするので、よけいただ単なるローカル意識でしか周りの状景が見えなくなってくる。あいつはどうしてるのかナ?この店、いまだにあいつがやっているのかな?そんな思いにかられながら、自分の実家への道をトボトボと歩く。単なる地元だ。そこは、もはや「しぶや」ではなく、自分の住み慣れた渋谷でしかない。まったく次元の違う2つのしぶやが、駅からの短い道のりの間に自分を通過していく。まさしくそんな感じだ。
 NHKの大きな建物を眺めている人の大多数には、その建物の過去にあったワシントンハイツというアメリカの姿は見えていないだろうし、TSUTAYAのきれいな新しい建物の過去に場末の映画館を見る人も、ドンキホーテの建物の背後に和服の洗い張り(要するに、和服のクリーニング屋さん)の店を見る人も少ないだろう。でも、そうした過去の渋谷がスッポリある瞬間から抜け落ちて、まったく新しいテーマパークにすり変ってしまっても何の違和感も感じさせないのが、やっぱり渋谷という街の特色なのかもしれない。この街には、何の歴史もなかったのだろうか?時々、そう思ってしまう。

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