SEPTEMBER 14のDIARY『イルカの肌触り』

 

 夜の月がほとんど満月だった。本当の満月は昨日だったのかもしれない。でも、それは見過ごしてしまった。秋になるとやっぱり食欲が出てくるというのは人間を何年やっていても本当だナ、という気がする。このところよく炊き込みご飯を作ってしまう。秋になるとつい炊き込みご飯、と安易に考えてしまうのは、スーパーの店頭に並んでいるマツタケやキノコ類のセイかもしれない。キノコやタケノコ、山菜の類いの入った炊き込みご飯やオコワは、秋からちょっと寒い季節に無性に食べたくなってくるから不思議だ。でも、私が炊き込みご飯を作るのは違う理由もある。たくさん作っておけば、何日でも食べられる、というお手軽な理由もあったりする。それに、私の作る炊き込みご飯の味は掛け値なしにウマイ。こんな自画自賛を恥ずかし気もなく言える私もどうかと思うが、私の味を知っている人はきっと納得してくれるに違いない。
 で、全然違うハナシ。私は、よくイルカに関するネットのサイトをサーフィンしたりする。個人的にイルカやクジラが好きだからだ。でも、そういうことばを聞くと、ああこの人はエコロジ系で環境問題にウルサイ人、とかやたら自然派の人みたいに思うかもしれないが、私は全然そんなことはなくて、むしろ自然派は大キライな人間だ。別に、自然が嫌いなのではなくて、自然派がキライなだけ。人間が自然を大事にしなければならないのは別に当たり前の話しで、それを自慢げに言ったり、やたらと都会の生活や環境問題にすり替えて語ろうとする人たちのスタイルはけっこう鼻もちならない。グリーンピースとかいう連中も嫌いだ。
 私がアメリカで学生をやっていたかなり昔、キャンパスで反捕鯨のビラを配っていたアメリカ人の学生たちがいた。もともとこういう連中の嫌いな私は、すぐさま噛みつく。大体において、先住民族のインディアンを追い出してアメリカの自然を壊したりバッファローを全滅させたのもアメリカの白人たちだし、昔はアメリカも捕鯨をやっていた。連中は肉を食べるだけで後は全部捨てていたけど、日本人は大昔から捕鯨をして、油を取ったり、櫛を作ったり、食器を作ったり何も捨てないで鯨を共存してきたのに、連中は単なるセンチメンタリズムだけで鯨を守ろうとする。鯨やイルカが知能が高いから殺しちゃダメというのは理屈になっていない。知能の低い動物は殺してもイイのか、と連中に議論をふっかけた記憶がある。
 私もけっこう若かったのかナという気もするが、今でもその考えは変っていない。でも、一度だけアメリカ人の気持ちも少しはわかるナと思った時があった。数年前にアメリカのサンディエゴ水族館でイルカに触った時だった。サンディエゴ水族館は並みの広さの水族館ではない。一日でも回り切れない広さの世界有数の水族館だ。外にイルカ専用のプールがあって、歩きながらイルカに触れるようになっている。そこでイルカに触った時の感触。背中の部分は、ゴムのようにパンパンにはっているクセに、お腹の方は気持ちいいほどに柔らかい。あの感触は、一度触ったら忘れられない。こんなカワイイ生き物を食べるなんて言ったら、やっぱりアメリカ人じゃなくても怒るよナ、って本当に思えた。別に、だからというわけでもなく、イルカやクジラのサイトを見るのはけっこう楽しい。世界中の水族館、全部回れたらどんなに幸せだろうカ。 

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