SEPTEMBER 13のDIARY 『映画音楽を作る』

 

 映画の音楽を作っていて、そんなこんなでまたまた日記をサボってしまった。『湾岸ミッドナイト』というVシネマの音楽だ。Vシネの中ではけっこう人気シリーズで、これがシリーズ10作目だという話しだ。車好きの人が見るのだろうが、私自身が個人的にレンタル・ビデオさんで借りるかと言ったら、きっと借りないナ。出てくる車は、「スカG」とか「フェアレディZ」とかいった定番の車ばかりなので、カー・マニアが見るというよりもきっとチューニング・マニアの人が見たりするのだろうナ、と思う(そんなマニアが本当にいるのかナという気もするが)。とにかく、車の走りとか、チューニングの要素がいっぱいの映画なので、Vシネにありがちの裸とかエグいシーンがまったくないのがイイ。以前、一度H系のアニメに音楽を作ったことがあるが、さすがにその時は、ビデオの中のスタッフ・クレジットに自分の名前が出るのが恥ずかしくて、名前は入れないでくれとお願いしてその通りにした。 仕事はあんまり選べないのがツライところだ。
 でも、それにしても日本のVシネというのはなんとかならないものだろうかといつも思う。大体において、ビデオ専用の映画というが存在している事自体が何かオカシイような気もする。世の中には映画ファンは、それこそ数限りなくいる。映画の嫌いな人を探す方が難しいぐらい、ほとんどの人が映画は大好きな娯楽なハズだ。それなのに、今の日本の映画はまったく元気がない。映画そのものに人気がないわけではないのに、日本の映画に人が入らない。人が入らないから、制作費も安くなる。安い映画を作るから質が悪くなる。質が悪いから、また人が見なくなる。このままでは、永遠にイタチごっこを続けるだけだろう。誰からが、どっかで日本の映画を元気にさせる事をしなければ、このまま日本の映画はダメになる一方だと思う。きっと、それは、映画産業の内部にいる人間ではなく、外にいる人間しかそれを変えることはできないのかもしれない。 たけしとか、宮本亜門のような映画の人間ではない人がどんどん映画の内部に外圧をかけていかないと、映画の内部の人間はいつまでたっても根本的に映画を改善していこうとはしないだろう。いや、実際には変えたくても変えられないのが現状なのかもしれないが、きっとその世界の内部にいれば、日常的なシステムや人間関係に流されてそういう事が無駄な努力のように思えてくるのかもしれない。だからこそ、外側の人間が...。
 といつも思っている私も、何か日本の映画を変える事ができないかといつも模索している。それには音楽だけやっていてはダメなことはわかりきっている。何しろ、日本の映画の中で音楽は、ほとんど重要視されていない。音楽ひとつで映像の印象は、百八十度変る。そんなことすら、映画だけでなくCM業界でもあんまり認識されていない。音楽の使い方にかなり気を配っている日本の映画監督と言えば、せいぜい亡くなった伊丹十三監督か、周防正行監督ぐらいなものだろう。CMの監督さんは、けっこう音楽の良くわかった人が多いのだが、いかんせんCMの場合、スポンサーの好みやタイアップという厄介なモノがあるので、音楽のセンスというよりはかなり高度な政治的配慮、という感じで音楽が決まってしまう。ただ、こうした現状をただグチっていても何も始まらないので、私も何か具体的な事を。と思っているのだが、そろそろ何かできそう(かナ?)。

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