AUGUST 31のDIARY『双方向のメディア/「朝日れすか」のコラム』

 

 私が毎月原稿を書いている「朝日れすか」というミニコミ誌(と言ってもいいのかな?)から読者の声がいつも届く。そのコラムでは毎月CDプレゼントを行っているので、それに応募する人がハガキを書いてくるのだが、単純にCD欲しさだけの文面というよりも、私のコラムに対する読者一人一人の生の感想が聞けて、私は最近ではこれが楽しみで原稿を書いているぐらいだ。時には辛らつな批評も来る。お叱りっぽい声も届くところが、双方向という感じがして嬉しい。
 雑誌や新聞に原稿を書いても、それに対する読者の反応が直接筆者に届くことは少ない。これまでに書いた3冊の著作に対する読者の声は、何度か届いたことがあるが、著作に対して直接著者に手紙を出す人はそれほど多くない。どちらかというと、そういう事をする人は、著者に対して挑戦的な人が多い。一度、20枚以上ある長い文面の読者からの手紙をもらってぶっくりした事があった。 その文面は、悪いことばで言えば私の記述の文章のアラ探しで、よく取ればこれだけ丹念に読んでくれているという事になるのだが、その挑戦的な文章には正直言って閉口した。この人のように、筆者をギャフンと言わせ てやろうという読者は世の中にはかなりたくさんいる。 こういうネット時代になって、それがもっと楽な形で一般の読者が本の批判や批評ができるようになった。どんなジャンルのどんな著作物であっても、筆者はそれを活字にした以上、その文章に対する責任を負う。それは当たり前のことだが、これまでの一方的に上から活字を垂れ流すだけでは、読者の声は筆者はおろか世間一般にも届きにくかった。それが、ネットであれ、「朝日れすか」の読者ハガキであれ、筆者に直接届くというのは、お互いにとって利益になることだろうと思う。できれば、ハガキをくれた一人一人に返事を出したいぐらいの気分だが、実際にそれをやるのはシンドイ。でも、そういった願望を叶えてくれるのが、ひょっとしたら、ネットのチャットであり、掲示板といったスタイルなのかもしれないとも思う。
 アーチストやタレントのHPにファンが書き込みをする。アーチスト自身がそれに答える。こういう双方向性は、スタイルとしてはとても歓迎すべきことだろう。ただ、それが本当にウマく機能するためには、ルールというよりも、どちらというとそこに登場する人、一人一人のモラルの方がより大事になってくるような気がする。一瞬考えた。私自身が「朝日れすか」のコラムでの読者とのやり取りを大事に思っているのであれば、それをそのママ、私のこのHPの中で読者とのチャットないしは、BBSとして機能させればイイではないか?本当に一瞬そう思った。でも、次ぎの瞬間「待てよ」とも思った。それをやったとして、果たしてどれだけの人がそういうネット上のやり取りに興味を持てるのか、あるいは有効性も見いだせるのか。よしんば、それに有効性があったとしても、それができるのはネットという媒体を常に利用している人に限定されるではないか。 それを使えない人はただ単に置いていかれるだけではないか。これは、何も「朝日れすか」だけの問題ではない。今ネットやパソコンというツールを使える人と使えない人の格差がどんどん広がっている。使える人は時代に生き残り、使えない人は、どんどん時代から取り残されていってしまう。これで果たしていいのだろうか? そんなことも考える。 きっと誰しもが考えていることなのだろう。時代は確実にこれまでとは違った方向に進んでいる。夢物語をすべて現実のものにしている人類は果たしてどこまでつき進んでいくのか?すべてが「見果てぬ夢」なのか?
 おそらく、その疑問に正しい答えを出せる人はいないだろう。人類が果たしてどこまで生き延びていかれるのか、一体いつまで地球という星が存在しているのかすらわからない現状でコンピューターという頭脳と生身の人間の頭脳の共存がどういう形になっていくのか?SF映画のようにコンピューターに支配される人間、といった未来図が本当に現実のものになるのだろうか?一千億以上もある人間の脳細胞を越えるような演算能力を持ったマイクロチップが現れてくるのだろうか?おそらく、その答えは、そんなに遠くない将来にわかるのかもしれない。ただ、映画『ブレード・ランナー』の中に描かれていたような近未来図はあまり望まれないだろうし、そうなるとは思えないような気がする。でも、「朝日れすか」のチャット・ページもやっぱり作ってみたい。

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