DECEMBER 4のDIARY『二十一世紀の地球』

 

  いつの間にか12月に入り、今年も終わるなという感慨にふけろうと思っていたら、何か大事なことを忘れているような気がしてならなかった。そうだ、今年で二十世紀が終わってしまうのだ。やっと世紀末が終わってくれるかという安堵の気持ちと、二十一世紀がどんな百年になるのだろうという期待感がけっこう複雑に空回りしていく。新しい世紀に期待感は十分持っているが、二十一世紀がどうなるのかなどということは、私だけでなくおそらく誰にも予測はできないに違いない。つい最近アメリカのエンデバーが宇宙ステーションとのドッキング(確か燃料補給だったような気がする)なんかをやっていたが、宇宙ステーションの建設は、我々の知らないところでどんどん着実に進んでいっているようだ。
 「2001年宇宙の旅」こそ実現しなかったものの、人間が宇宙で生活するための下準備はかなり整ってきている。自分が宇宙に飛びたてるかどうかはわからないが、人間が平気で宇宙旅行ができるようになれば、おそらく人間も宇宙人の一つに過ぎないという事が最確認されるのか、あるいは、人間がまったく違った次元の生物になってしまうのか、そのどちらかのような気もする。火星に生物がいた痕跡があるとか、人間の元の細胞や核は、火星あたりから来たのではないかという事が論議されているようだが、私は、それよりも、この二十一世紀の間に地球が消滅してしまうのではないかという事の方を真剣に考えなければならないのではないかと思っている。隕石が自然に地球に衝突する可能性がまだまだ先だとしても、テクノロジーの進歩は、その隕石の飛行軌跡までをも人為的に変えてしまう可能性すら持っている。SF映画のように、誰かが、隕石を意図的に地球に向けて落下させることを考え、それを実行する事ができるのが二十一世紀なのかもしれないとも思う。世の中のバカげた空想を現実のものにしてきたのが科学だとすれば、アートは、常にそれと逆行している。
 人間のアーティスティックな感性は、大昔の人間であっても現代の人間であってもそれほどの違いはない。それどころか、人間は、これから先、医学の進歩やテクノロジーの進歩に頼って生きていかなければならない反面、そこからもっともっと原初的な古い感性に帰っていこうとするのかもしれない。どんなに科学が進歩しても、宇宙に飛び出して行っても、宗教やアートに救いを求めようとするのが人間なのだろう。そうでなければ、宗教もアートもとっくの昔に世の中から消え去ってしまっているはずのものだから。

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