DECEMBER 14のDIARY『忠臣蔵』

 

 私は、12月14日と聞くとすぐ「忠心蔵」、赤穂浪士の討ち入りを思い出す。元禄14年なのだから、おそらく1704年とか1703年ぐらいだと思うけど、元禄時代というまったく平和な時代に突然こんな事件が起きたのだから、世の中の人は相当びっくりしただろうなと思う。徳川家康が天下をとって江戸時代になってから百年ぐらい、戦争はまったく起っていない。それまでの戦国時代のような戦争、戦争の時代がウソみたいに平和になってしまった時代のあだ討ち事件というのをその当時の人はどんな目で見ていたのだろう。
 昔、品川の泉岳寺に御参りに行ったことがある。討ち入りした四十七人の墓ともう一人の墓があったり(四十八人分の墓があることが奇妙だったが)、小さな博物館みたいな場所があって、討ち入りの時に着ていた衣装(というのかな?)が飾ってあったりしてけっこう面白い場所だ。歌舞伎やお話の「忠心蔵」は、かなり脚色されているので、史実とは大分違うところがあるのだろうが、吉良の殿様と浅野の殿様では、その土地の評判が大分違っていたという話しを聞いたことがある。吉良の殿様は、この話しでは完全に悪役なのだが、多分実際はそうでもないのだと思う。浅野の殿様の城がある赤穂という所は確か兵庫県で塩の産地だったはずだ。殿様の家臣はいざしらず、赤穂の城下に住んでいた人たちの殿様に対する評価はそれほどよくはなかったらしい。まあ、江戸城の中で田舎侍とかバカにされて吉良を斬りつけるぐらいなのだから、あんまり利口な殿様とも思えない。自分がそんな事をしたら、部下が困るだろうぐらいのことは考えなかったのだろうか。結果、実際に四十七人の部下たちは忠義とかいうことばと引き換えに自分の命を落とすことになってしまったわけなのだから、やはりこれは浅野の殿様のせいとしか言いようがない。今でも、会社で起した不始末やトラブルの結果、自殺してしまう幹部の人がいるが、なぜ、そこで自分の命と会社とか組織への忠義を天びんにかけることができるのだろう?その事の方が不思議でならない。これは、別に会社に限らないし、殿様や家に対する忠義とか、あるいは村、町、国家にまで枠を広げて考えると、日本人は、まず自分の「個」よりも、その「個」が属している家や、会社、地域などの属性があって「個」があると考えるから、わりと簡単に「自己」を組織や家のために犠牲にすることができるのかもしれない。ここら辺が、西洋とまったく違うところだなと思う(西洋の神話に出てくる神様たちは、ある意味みんな個人主義で勝手な神様が多いけど、日本の神様は、国を作ったり、山を作ったりと、何か全体主義的な気がする)。
 でも、何だかんだと言っても、日本人は「忠心蔵」のような美学が好きなんだと思う。この話しが日本に残っている限り、日本人はずっと日本人であり続けるような気がする。

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