NOVEMBER 4のDIARY『サカナの潔さ』

 

 いつ頃からなのだろう。サカナを見ると妙に心が落ち着くという変な感覚を持つようになったのは。
 小さい頃、魚屋の店先に行っては、たくさん並ぶ魚たちの顔を見ては、ああこれはハンサムな顔をしている魚だとか、この魚はブスだとか勝手に自分で品定めをして楽しんでいたような気がする。親にねだっては小さな水槽を買ってもらい、その中にメダカや金魚、そしてカメなどを飼って遊んだ記憶もある。しかし、最近では自分で積極的に水槽を置いたり、魚を飼ったりするようなこともないが、魚の本を読んだり、魚が出てくる番組(いわゆる自然もののドキュメントネ)を見たり、釣りに行ったりしてサカナたちと自分なりのコンタクトを楽しんだりする。ついこの前も長良川の魚についての番組を見て面白いなと思ったことがあった。
 長良川は、白山からの雪解け水で水量も豊富だし、途中ダムがないこともあって魚たちにとってはおそらく日本一住みやすい環境なのではないかと思う(私は、魚ではないので、本当の所はよくわからないが)。そのために、アユも豊富にいるし、アマゴという非常にきれいな魚もたくさん住みついている。このアマゴという魚は、ヤマメやオイカワなどとルックスは似ているが、途中からマスになるグループとならないグループの二種類に分かれる面白い習性を持っている。体長20センチぐらいになった段階で、アマゴ独特のカラフルな模様を持っている連中と、銀白色になる連中の2種類に分かれ、この銀白色グループが海に下って、二、三年過ごして三倍ぐらいの体になって帰ってくるのがサツキマスと呼ばれる。川にいる時は、カラフル・アマゴと銀色アマゴでは、カラフル・アマゴの方が体もでかくて優勢で、銀色アマゴはどちらかと言うといじめられグループに属している。でも、そのいじめられっ子が海に行って戻ってくると今度は形勢が逆転して、大きなサツキマスの方が優勢になってくる(人間にもこういうのがいたな。小さい頃チビと言われてイジメられていたのが、途中から背丈が伸びて形勢が逆転したりして)。
 そして、上流に戻ってきたサツキマスは、アマゴのメスと対になって産卵の準備をする。メスが産みつけた卵にオスが瞬間的に精子をかける。その瞬間は1秒にも満たないほんのつかの間の儀式だ。この儀式のために、こうした魚は命をかけて川を上ってくる。そして、この儀式が終わるとすぐに命の幕を閉じる。ひたすら子孫を残すことを至上目的に生きる彼ら(アユ、サケ、マスなどのサカナたち)の生きざまほど壮絶で潔いものはないといつも感心する。人間にもこの潔さの百分の一でもあればなあとつい考えてしまう。

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