NOVEMBER 15のDIARY『いじめる者、いじめられる者』

 

 今日もまた、母親が子供をせっかん死させるというニュースがあった。この手のニュースは、別にこれが初めてでもなければ、これが一番ひどいケースというわけでもないが、ニュースのコメントを聞いていてはやりという感じがした部分があった。この虐待した母親も自分の母親に虐待された経験があったということだ。別に遺伝子的な意味でなくても、被害者はいつでも加害者になる。いじめれた人間がいじめられた経験をもとに弱者を救う側に立つかといえば、物事はそんなにキレイ事ではすまされない。いじめられたらいじめたくなる。それが、自然の道理かもしれない。人間が自然界の生き物ならば、自然のルールの中で動いていく他ない。
 自然は、すべてバランスの上に成り立っているような気がする。自分が動けば必ず空気を振動させ、そのエネルギーはどこかに伝わる。同じように他者の動きから起る振動も自分は受取ることになる。人間も自然も生物すべてがエネルギーのキャッチボールをやっている。自分が撃ったタマは撃ちっぱなしではなく、いずれ必ず自分に返ってくる。強い者が弱い者を負かしていくのは、弱肉強食の自然界のルールだが、階級社会でも同じようなことが起る。上から下に搾取し、いじめる構造がそれだが、上下の関係のルールがはっきりしている会社や学校でも、似たようなことが起る。先輩後輩の関係や、上司部下の関係は強者弱者がはっきりしている意味ではそれに近いが、これは本当の意味での強者弱者ではないだろう。単なる構造的な関係だから、真の意味での強者弱者ではない(目上が必ずしも能力的に上とは限らない)。
 遺伝子的には優性遺伝の有色人種が白人に虐げられているのも、単なる歴史的な社会構造にしか過ぎない。これを、親と子の関係にあてはめようとしたら大きな間違いだ。子供は親に隷属しているわけでもないし、子供は親の所有物でもない。家族の関係は、社会構造とはまったく別種の関係だ。親が子を産むのは、種の保存が第一の目的なのだから、元から防衛本能が働いていければならないはずだ。親は、必ず子を守る。それが、たとえ優性だろうが、劣性だろうが自分の種を残すことは親にとっての一大事。それが、一大事ではなくなってきているのは、核家族になって、家族が大きな自分たちの種という意識が持てなくなってきていることにも原因があるのではないだろうか。
 おじいちゃん、おばあちゃんがいて、両親がいて、兄弟がいる、かつて当たり前だった家族の形態が目に見えなくなってきていることが、ひょっとしたら、こうした悲劇を生む元凶になっているのかもしれないとも思う。

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