OCTOBER 3のDIARY『評論という仕事』

 

 ミマンという雑誌に頼まれて、音楽関係の本の書評を書いている。
 と言っても、まだ一切手はつけていない。書評をする前に、書評をする本を選ばなければならない。音楽関係の本なら何でもよいということなのだが、これがエラク大変な仕事だ。世の中には、ゴマンと音楽に関する本が出ているのに、自分がこれは、といった本を推薦してその評を書くだけのことがこれほど難しい作業だとは思わなかった。自分が、この本はぜひ読むべきだと自信をもって言える本でなければ書評も書きようがない。私もこれまでに何冊か本を書いてきたけれど、音楽関係の本にろくな本はない。どだい音楽をことばにすること自体に無理がある。こんなことを言うと自分のやってきたこと自体を否定することになりかねないが、音楽はあくまで音楽であって、ことばで説明するものでも何でもない。それがわかった上で、ことばにしていかなければならない。ここが音楽の本の難しいところだ。
 おそらく、音楽の本を読もうという人は、音楽に関する知識を得ようとしてその本を買う人がほとんどだろうと思う。だから文章がうまいとかヘタとかいうことは問題ではないのかもしれない。でも、それが私にとって一番我慢ができないところでもある。吉田秀和というクラッシックの音楽評論家の方がいるが、彼の文章は一般的に言ったらとてもウマいという部類の入る人だ。ただ、私はあの人の文章があまり好きにはなれない。あまりにも、自分の書いた文章に酔っていて、どうだ私の文章は美しいだろうとでも言いたげなところが妙に鼻についてしまう。逆に、ポップスやロックのライナー・ノーツに書かれた音楽評論家の文章は、もう文章以前というような、添削したらきっと赤だらけだろうなというような文章が目立つ。それに、文章そのものよりも、私はどこどこでこういうアーチストと会いました、どこでメシを食いました的なことばかり書いている人が多く、あの内容の幼稚さにも閉口する。
 問題は、音楽をどう見るかという視点だろうと思う。音楽の本は、知識だけを与えればいいのだという人もいるかもしれない。音楽の本は、楽しく読めればいいという人もいるかもしれない。音楽は、聞くもので読むものではないのだから、読んで面白い本など必要ないんだと言う人もいるかもしれない。でも、やっぱり私は、音楽はどう楽しいのか、どうすればもっと楽しめるのか、そのためにはどういう知識が必要でどういう知識は必要ないのかといった基本的なことが、キチンとわかりやすく書かれていて欲しいと思う。そんな簡単なことすら満たされていない音楽の本が余りにも多すぎる。だから、私は本選びに苦労してしまう。逆に、誰か私に、これはといった本を推薦して欲しいぐらいだ。

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