「自然農」とは・・(もちろん一人ひとりそれぞれですが)

自然の理=ことわりにそって、命を育て、自らも生をはぐくんでいく農業
相互依存、いいかえれば共生の「コツ」を農に見いだすアート
在ることの経験
自由・祝祭・開放

このページの目次
◆◆はじめに◆◆ 「自然農」と呼ぶ理由   
◆◆次に◆◆ 徳島自然農塾ではこんな具合でやっております その1必要なもの その2春夏秋冬   
◆◆そして◆◆ 最初の一歩を踏み出した人達[岡田茂吉さん・福岡正信さん・川口由一さん]   


◆◆はじめに◆◆

「自然農」と呼ぶ理由

「自然農」に、何かこれだという決まった方法やマニュアルのようなものがあるのかといえば、それはあるはずもないのであって・・。年々歳々、人人、場所場所によって、自在に行えばよいのであって・・。まあ、だからといって農薬を使うということは勿論無いし、肥料や耕耘も必要ないのですが、どうも方法の法が付いた「自然農法」には違和感があるというので「自然農」と呼ばれるようです。

もう少し付け加えるなら「自然農」とは、自然の営みにそった農であり、それに法を付けるとすれば、自然の法-のり-ダンマ(言葉にはできない生、宇宙の真理)の意味での法になるんでしょう。が、いかんせん熟語になるとどちらも「ホー」で、言葉の限界のこともあり、取り違えるとややこしいので、「自然農」に落ち着いたというわけ、のようです。


◆◆次に◆◆

徳島自然農塾ではこんな具合でやっております

その1 必要なもの

トラクター、コンバイン、田植え機のような農業機械は使いません。

1番活躍するのはノコギリ鎌。それと種まきのとき土をそぐのにクワを使います。

一般の農業だと、まず借金をしていろいろ農業用の機械を用意しないと作業にならないようにいわれますが、自然農の場合は手近にある道具で十分なところがうれしい。

全て手作業で行いますから、それは機械でやるのと比べたら作業時間は長くかかります。でもそれが手間かというとそうでもないし(なんせ楽しいもんで)、第一、自分の手に収まるようなカマや手ぐわで事足りるのですから、そのこと自体、えらい驚きではないでしょうか。

いっぺんにガガガとやろうとすると身体をいためてしまいます。こつこつ、ぽつぽつ、自分のやれる分ずつやっていけばいいのだと思います。(専業になってどのくらいの規模に拡大すれば食べていかれるかなど、すぐに頭をよぎるのですが)大切なのは、決して頭の中のあれやこれやに巻き込まれず、田畑や作物にどのように対応するか、つねに感受性をやわらかくしておくことなんでしょう。

そうして田畑で作業していくうち、自然とコツが養われていくんだと思います。

決まり切ったやり方は通用しないのが自然農ですから、経験を積み、経験を生かすことが道具より何より必要なような気がします。「やってみるとおのずと分かる」と言えるまでに時間はかかるけれど・・。そうすると失敗を苦にせず生の流れを楽しむ心持ちもまた必須なのでしょう。


その2 春夏秋冬

はおやすみの季節。晩秋にまいた麦は収穫までほとんど何の手入れも要りません。(春に鳥よけの糸を張るくらい)冬野菜の収穫の他は崩れた畝の補修、稲の苗床の用意も比較的簡単です。時がゆったり流れます。

、目覚めのとき。冬用意した苗床に、稲の種をまいたら、シーズンスタート!でもまだ作業のテンポはゆっくりゆっくり・・。草刈り作業もたいしたことなくて。次第に伸びる日差しと共にエンジンが回りはじめ、麦秋を迎えるころからあらあら忙しい忙しい!!

麦を刈って、草を刈って、苗床の稲の様子を見て、いよいよ農作業のハイライト、田植だ〜。水を張った朝の田、きらきらと光に満ちて、ザリガニやら蛙やら大にぎわい。一人でゆっくり植えてもいいし、助っ人を大勢呼んでわいわいやっても楽しいし・・。畑の方にはじゃがいも、にんじん、とうもろこし、皆思い思いに好きなものを作付けて・・またたくまに春はたけてゆく・・。

は草刈り。田の草刈り。畔の草刈り。お盆までに何回か。タニシ、ザリガニ、ナマズ、メダカ、水を張った田んぼは生き物で一杯。阿波踊りが近づいてくると、そろそろ稲の花が何時咲くか、出穂が気になり始める頃。畑も作物に応じて草刈り。特に一般の田畑との境目はきちんと刈ってマナー遵守。『妙なる畑の会 全国大会』も開催される時期。全国各地の痛快自然農みやげ話は、笑える、勇気づけられる、感心しきりの楽しみな一時を提供してくれます。

もけっこう忙しい。畑には野菜の種まき、間引き。秋空が広がれば、田んぼでは稲作のファイナルステージ稲刈り。自然乾燥、脱穀。

麦をまき終わるころにはもう風が冷たいのでした。



◆◆そして◆◆ 

最初の一歩を踏み出した人達

<岡田茂吉さん>

世界救世教の師。昭和10年自然尊重の見地から農業技術を具体的に示し「自然農法」を創唱された。現在はMokiti Okade Association(1980年〜)略してMOA自然農法として、受け継がれ自然農法の一つの流れとなっている。


福岡正信さん>

「粘土玉に種をしこんでばらまき、砂漠の緑化に成功」などの見出しでマスコミによく登場なさっているので御存知の方も多いかも。仙人のような風ぼうも印象的なので、ああ、あの方かと思い出されるはず。大正2年、愛媛県のお生まれ。だからもう高齢でいらっしゃるが自然農法、第一人者として世界を駆け巡っておられる。

25才の春、横浜で仕事も恋も好調で、忙しく幸せだった彼はある日、急性肺炎にみまわれる。一挙に肉体的精神的苦悶の世界へと転落。何日もさまよい、疲れ果て、やがて大きな木の根元でむかえた5月15日の早朝、自身にとっても夜明けとなる時を迎える。明けゆく港をながめながら「この世には何もない」ことにひらめいたのだった。美しい瞬間だったろうことが想像される。(著書「わら一本の革命」に詳しい。)

この変容が契機となって、戦後すぐに彼は自然農法に取り組み多くの実績を上げる。自然農法で多収が見込める品種の改良にも努めた。そうして生まれた「ハッピーヒル」種の名前は、<福ふく岡おか>に由来しているそうだ。

惜しむらくは、一人の弟子も受け入れなかったこと。研修生は何人も住まわせていたのに。成り行きとして弟子となるべき人がこれまで現れなかったのも一因なのだろうが、これが自然の巡り合わせとは・・。

市井にあって妥協を知らないその生き方は、サムライを感じさせる。故に孤独感も。

2001年夏、愛媛大学の講演会で長時間講演されたそうだ。若い人にこれからを託す姿勢がうかがえる。


川口由一さん>

福岡さんが、ある朝瞬間的に目覚めて「何もない」ときっぱり表現したのに対し、川口さんは「ある」感覚を、時間をかけおだやかに熟成させていく。骨っぽい福岡さんが、最初に「自然農法」の世界を切り開いた後、それを頼りにしながらも自分の感覚を大切にしながら、独自の「自然農」の境地を開かれた。著作を読むと、豊かな感性をお持ちで、とてもソフトな方という印象を受ける。身体的にも強靱とはいえなかったようだ。

昭和14年、先祖代々の小作農家の長男として奈良県に生まれる。12才の時父親が亡くなり進学を断念して農業を継ぐ。が、農業は好きではなかったという。機械化、除草剤などの利用で農作業の労働軽減をはかりながら、なりたかった絵描きの勉強を続ける。しかし無理がたたって急性肝炎を引き起こし、心身共に疲れ果て・・。20代までは大変な苦悩、渾沌を経験されたようだ。それが30代を迎えるころ落ち着きをみせ、次第に東洋医学と自然農法に開眼していくのだった。

著書「妙なる畑に立ちて」の中で人の生き方、在り方、教育、芸術、医学について多くのページをさいているのは、そんな御自身の体験からであろう。

「自然農」の田畑の見事さは映画にも記録され、勉強会などで公開されている。平成3年、三重県に自然農学びの場「赤目自然農塾」ができ、やがて講師や指導の役割を担うようになられる。

福岡さんと同じく、弟子をとることはしないが、あちこち乞われるままに全国を巡り、「これから」の人々に助力を惜しまない。感謝したい。