第24回「妙なる畑の会」自然農研鑽会 一日目 1/16(土)

川口由一さんの挨拶文を沖津さんが声を出して三回読むところから始まりました。以下、おおよその内容を紹介します。

 

第二十四回 全国自然農実践者研鑽会のご挨拶

 

 全国各地にて自然農に取り組み、自然農のある生活を重ねられておられます皆様お元気のことと存じます。僕も楽しく田畑に出かける日々を過ごすことができています。

 年一度の学習会を今年も執り行われますことをうれしく思います。学びを重ねることの尊いこと、意義多いことを思うと本当にかけがえのない貴重な機会であります。

 今回の学びもさらなる一人一人の大いなる成長、心豊かで平和な生活、そして田畑においても美しい姿、豊かな結実へともたらしてくれるものとなるように念じています。

 是非に学びを楽しく深めゆかれて下さい。学びを終えられ、夫々の部隊に戻られてのこの一年もどうか御身体を大切にされ、健康で幸福の日々であられることを祈っております。

 

    平成二十八年  新しい年の始めに。

                            川口由一

 

沖津

この川口さんの文章から勉強会をスタートさせたいと思います。

さらっと書かれていますが皆さんどうですか?
これは人類が有史以来求めていること。
ここまでのことを程度の高いところで行われてきた。その川口さんの思いを受け継いで我々に足りないところを補って行きたい。

徳島では4回目。最初は商売のことを語るなどとんでもない。

仕事だったのでお金は儲かるかと話すと怒られた。

一回目、二回目はテーマも格調高かった。

「平常心、これ道」「今を生きる」

三回目、四回目は「農業と自然農」「お金と自然農」

俗になってきた。

俗の中に生き方を明らかにしたい。


文中の「学びを楽しく深めゆかれて下さい。」

これが出来たら苦労はしない。うんうんと言わないからここに来ている。個人は違うからいろいろな思いがわき起こってきて場合によってはけんか。

対立の中に対立しないものを見いだす=自然、真理を。

相手の立場が見えたら、相手を思いやることが出来る。

これが出来たら楽しくなる。

自然を、生きていることを、審理を味わえる。

一つずつを味わっていこう。私は私を全うしよう。

どんなことをしていても楽しい人生を送ることと一つ。

一日目のテーマは「自然農を知る」

パネラーは鏡山悦子さん(福岡自然農塾)

沖津

働くというのは人が動くと書く。生きるために生きる。生きる中に農業がある。豊かに生きる中にお金儲けがある。

豊かに生きているから皆のためになる、それが自然に沿うこと。垣根は本来は無い。お金と付き合う程、体調が良くなる会にしたい。

 

自分は初めの頃「妙畑」は嫌いだった。忙しい中、自分には深刻な作業がある、そんな中、芸術や他の話しばかりで。

川口さんは農業を通じて自然をわきまえさせ、生き方を明らかに、高度な深い学びで農により私が救われるその有りようを明らかにする。

お金のことを正面から取り上げたことは少ない。

 

川口さんの畑を見学した時に麦が刈り遅れていたので川口さんに「麦が刈り遅れていますね。勿体ない。」というと川口さんは「はい、採ってもとらなくても同じ、一緒ですから」とおっしゃった。

自然界に置いては生命の巡りには変わりは無い。けれど採るのとらないは大違い。深いことが分かった上で技術を研さんしていく。

お金は貰ってあげないとお返しが大変。お金のやりとりはありがとうのやりとり。人は助け合いをしないと生きていけないから。

 

川口さんには生き方を学んできた。技術やお金儲けという俗なテーマ、そろそろそんな時代が来ている。

「業」ぎょうは俗な中に生きる。

現代社会の行き詰まりから自然農を始めた人が多いが、川口由一さんの思いは何処にあったのかj、それを明らかに自分のものとしなければ、現代社会に飲み込まれてしまう。

 

農は自然に働きかける。

業になると、自分のために自然の恩恵を得る。

そして家族のために自然の恩恵を得る。

さらに他のために働き自然の恩恵を得る。そこに生産=お金のやりとりが生まれる。

 

「自然農を知る」それは自然を知ること。はじめから足りている。あるがままでOK。その発見から始まっている。

先人、先覚の共通して感じていること。

「丁度良いところが一番良い」と言い換えられる。どういうことかというと、それが「疲れたら休む。働きたければはたらく。」草は取れるだけ取れば良い。「知足」「足りる」全身を感じる。地に足をつけて、気持ちを落ち着けて、この場にふさわしい仕事をしていく。

お金より先に足があった。自分の人生でそれを味わう。

 

自然農をするとは豊かな人生を送ること。

生きる本質は他の(人の)ために役に立つ、他の生命を生かす。それは自然農の田畑で実感できる。

お金は道具。

工夫や方便がある。視野を大きく持って臨んでほしい。

 

鏡山さんは最強、最高のパネラー。何があったとしても対応できる力量がある方。

鏡山悦子

一貴山で25年目になります。

人間らしい生活、田舎暮らしがしたかった。夫のえいじさんは二足のわらじで俗の中に身を置きながら。

 

私はどう生きたら良いのか、自然農に会いこれしか無いと思った。人が生きる答えを出し、答えを生きる。課題は年々違います。それに対応しています。

 

さて、久しぶりに飛行機に乗りました。天気が良く海も山もよく見えた。瀬戸内海の風景を見渡しいると、これほどまでに人々は自然に手を出しているんだな、手が入ってないところは無い。人の営みはここまで広がっているのだと。ここまで必要なのかと思った。

 

そして着陸の時に飛行機の車輪が地面に着く瞬間はすごーいと思いました。

何事も無く着陸して、人間の底知れない力をつくづく感じた朝の時間でした。

 

福岡自然農塾を松尾さんの後を継いで世話役をしています。一貴山でも14名ほどが自給を目指して勉強会をしています。

皆さん安心安全な食べ物を欲しい。栽培に関することには熱心です。

その場その場で、相反することも言ったりする。一つ一つを明らかにしていきたい。

知りたい、分かりたい。どう生きるかを確実にしていきたい。それで教育、芸術などの座学を始めました。

 

川口さんは芸術が大事とおっしゃる。

自らの生活に芸術は不可欠。学生時代は彫刻をしていました。学生なのでお金を貯めて年に一回東京に出て展覧会を見て回った。そうすると具合が悪くなって吐いていた。苦しいけれど道を究めるために必要だと続けていました。芸術の世界は苦しいなと思いながら。

 

自然農を始めて、境地、人間性が捕らわれていると自分の生命が侵されていたということが分かった。

人は目に見えないものを感じる。

課題は「自分を整える」こと。私をおさめること。白州まさこさんの「私自身を育てること」というのと、川口さんとも同じだと、また育児も同じだと思いました。

 

 

沖津

育てる、育つというのは、自らを生きるうちに育つ。

覚めて一つずつ良い仕事をするうち育つ。その生き方をするために工夫する。

本来育ちたいので育っていくもの。

あらゆる分野で「業」、人のありようでなければならない。

自分の考えていることを横に置く。宇宙に一人立つ。覚める。難しいことでは無い。

「稲刈りしよう」だと、自分のことを抱えている。周りが見えなくなる。
「稲が美しい」は覚めている時ですね。

個々別々ということは調和が取れているということ。

農業に生きているので真理・自然は当たり前、当然のことですね。

 

鏡山

芸術は人を喜ばせる。沖津さんの生命の中で、芸術はどのような位置づけですか?

沖津

CDでビアの演奏を聴く位でしょうか。素人なりに気分転換で聴いています。素人なりに感じられます。

田畑の姿にも現れてきますね。

鏡山

芸術を外に置いた話しですね。

私は農婦で日々、芸術には携わっていないのですが、芸術を知っていれば美しい稲穂が感じられる。

芸術性を養うためには自然に身を置く。(絵を描いたり等)するのではなく全ての中に芸術性がある。

沖津

芸術性って、なん何でしょうね。

鏡山

「美しい」を知らないと・・・。自分の生命に尋ねたら分かる。美しいお野菜、お米。芸術性は大切。

富山の石黒さんの所とか、自然界は美しい。

沖津

優れた絵と自然界は同じ。芸術性にピントが合いました。良いものに惹かれる。

鏡山

生まれたときから病んでいる人の描いた絵、深く思いを寄せて、明らかにしていかないと。

子供の絵、画家の絵、どちらも素晴らしい絵、大昔の洞窟の絵、現代の絵、どちらが良いと思いますか?皆さん。比べられない?
人の営みの一つ。答えを出せる能力、あらゆる分野に答えを出す必要が出てくる。

沖津

芸術性を農業に発揮する。美しい健康なものを育てる。美しい姿、健康な方が生産が安定する。良いものを育てる。それ位しか自分には出来ない。農業を通じてしか出来ないですね。

鏡山

総合的に生きるのは本来なので出来る。

私一人のことをおさめるのが大切。若い人は私一人をおさめることに集中しても良い。

政治のスローガン(一億総活躍)があるが、私、活躍したくない。活躍の意味が明らかで無い。

私一人のことをおさめられないところに争いが起こる。

鏡山

過去の思いは整理できました。答えを出さないといけないところで、最善の答えかどうかは分かりませんが。

自然農はどういうものなのか?ひとすじの希望だと思っている。人が生きていくとはどういうことか。

沖津

おさめるというのは、覚めきる、悟り知る。腹が立ったとき、自分を脇におく。味わえる。覚めてくる。

怒りに襲われたときというのは焦っている、不安。それでは答えは出ない。

人を見ているだけで、こういうところに立っておいでるのだなと分かる。人は分かる。作品は分かる。根本は同じなので基本的な私のありようは、ひとつ。良い仕事をしていかないといけないかな、と。

 

会場内から:赤目自然農塾の中村さん

赤目自然農塾の中村です。川口さんの芸術紀行に参加しています。

琳派の作品展にでかけました。作者の人間性に出会う、それを如何に見れる自分であるか。

美をつまびらかにする。自然農は芸術性を養う。美しいものを極めないと。左右されないように。

自分を養う。日々研さん。自らも成長していける。

会場内から:小倉さん

川口さんは人間性を高めるために(芸術が)必要と。自然農、なんで芸術なのか?

田畑を美しく整えることが出来る。田畑がキャンバス。田畑に人間性が出る。草の刈り方にも出る。

人間性が高まる

会場内から:鹿児島の方(と思われます)

美しいものを見て感動する。手の貸し方が良ければ美を感じる。美しい調べは心に響いてくる。
美しいものは美しい。自分の心を育てたい。

会場内から:石黒さん

芸術家を明らかにしないと論じられない。「美・醜」どういうものか明らかに。

普遍的なもの「美しい」という言葉。それは「美しい」という言葉、考え方。
例えば、これ美しい?は分かりやすい。人と美しいを論じると逃げていく。

違っていて良い。

「美は醜の対義語では無い、善は悪の対義語では無い。善は悪を、美は醜を凌駕する」という。

芸術は川口さん、農業は沖津さん、絵は鏡山さん、と美をとらえ直すと分かりやすい。

「問いの立て方」が大事。

言葉に出来るようになってきた。自分が分かりたいために、大事なことは分かった方が楽しい。

会場内から:北村さん

2008年妙畑にて、川口さんとの言葉と照らし合わせて分かったことは、自然界に謙虚であること。

芸術性は畑で支柱を立てるとき、セット野菜を箱詰めするときなど、生活の物差しとなっています。

いろいろな言葉で指し示して下さっている。

沖津

美、醜を明らかにしないといけないですね。

 

会場内から:山岡さん

演劇をやっていましたが、やり過ぎる役者は醜いもの。

ベストなタイミングでベストなことが出来る、瞬間に、何が必要か分かった上で。

会場内から:高橋さん

人は凄い力を持っているが使い方を誤ると大変。

自然農はスタート。世の中の人が生きていくのに入り口、窓口に。

日々の中で実践して生かしていく。

会場内から:山川さん

音楽を10年くらいやっていた。沖津さんの所に昨年11月に行った。美しい調べに惹かれる。植物はけなげに生きている。そこに美しさを感じる。

話し合うのは横のコミュニケーション。縦ではダメだ。

会場内から:ウエダさん

自然農しながら社会とどう関わっていくか。自分が良いと思っていても原発があったらどうするか。

インターネットでフードシェア、無料でただでシェアしたら面白いと思っている。

いかに他者と関わって行くか。自分だけの世界を磨き上げるだけで無く、他と関わる。

沖津

覚めて汲み取らないと自らの中に入ってこないですね。

 

鏡山

先ずは自分と申し上げた。自分だけで完結して良いのか、もっともっと悩まれたら良い。

孤高に生きるのはまた特別ですが、他者と関わることは自分がおさめられてないと対立の世界に陥る。

また、責任転嫁をしてしてしまったりする。

(じぶんがおさめられていれば)社会とのつながりがより広がる。

田畑の中で自然と一体になってやっていくと対立しないところで自分をおさめる「すごく気持ちが良い」
20年以上やって来て草の種類もとても多い。自分も小さな命に過ぎない。自分だけで完結はあり得ない。

私が謙虚で無ければ続かない。

私の本来の生き方は何処にあるのか考えざるを得ない。私の人生を明らかにすることはより多くの人と喜びを分かち合える。

60歳になってスッキリした生活、分け隔て無く親の世代、もうおばあちゃんの世代かな?として愛おしい。
一方的で無く、学ばせて貰っている。自然農を通して生きていくことが喜びとなっている。

ここは学びの場なので自分のものにされて下さい。

沖津

自分が覚めたところで一つひとつ、そうしないと伝えたことが無駄になる。

会場内から:田中さん

・・・<聞き取れませんでした>・・有るのか無いのか

沖津

分別知(ふんべつち)に入っている。田畑に立って、頭で考えず。

会場内から:田中さん

無念とは正念のことなり。

沖津

人生無目的。自由自在にその場にふさわしく生きていく。無から有が生まれる。

美を正確にわきまえると自然に合点がいくことがある。

会場内から:前川さん ここまでの感想

会場内から:コトウさん

村山さんの大根、その美味しさに感動した。村山さんは芸術家だと思って良い。

芸術は非凡に希少価値を見つけて値段をつけている。

沖津

美しく言葉を吐く。美しい日常、その勉強会。

会場内から:サカイケンジさん

小学校4年まで日本で育ちました。フランス、アルザス地方でバイオダイナミクス農業をこれからやります。

これまで当たり前だったヨーロッパ文化、宗教が無くなり科学的になって当たり前じゃなくなった。

例えば「死」当たり前じゃ無くなった。科学が進みすぎると、バランスが崩れると、美しくない。

バランスはリズム。自分のバランス・リズムのために農業が必要。

神道は自然を大事にする。無くなってるな、バランス・リズム。

沖津

丁度良い、バランス。人間はいろんなものを生み出している。神は智恵を行う。

原発、除草剤、神がくれた能力。自然にある能力だからバランスを取る。一方を明らしむると一方暗し。

奴隷を使って働かせる、産業革命で働かせる、もっともっと・・・見失っている。覚めていないから。

川口さんが「アスファルトの道を通らず歩くのは難しい」と言っていました。

バランス、丁度良いところをわきまえる。

会場内から:前回「分科会を開いて欲しい」と言った方

認識の違いを子供に教える、自分もおさまってなくて、親もおさまってなくて、しかし、社会に関わり、お金を得るようになった。地域で50円、100円の菜っ葉。自分次第なのかなぁ。アドバイスがあれば。

鏡山

お金も欲しいし仕事はやりたいことばかりじゃ無い。人間関係等、生きるって大変。生きづらい。

全体を見渡し、全体と関わって行けば良いかもしれないけれど、娘が二人おりますが生命の世界がどうなっているか、分かって欲しい

沖津

自分がおさまっていればまわりもおさまっている。

会場内から:前回「分科会を開いて欲しい」と言った方

自分の中に落ち着く。そうしたら、まわりのために働いていける。

会場内から:不明

沖津さん、何故これから縮小しようと思っているのですか?

沖津

年寄りだから。後継者がいないし身体の方が動かないので。最善を尽くさないといけない。生産性、田植えを早くするとか、能力を発揮して工夫に工夫を重ねて技術を磨く。若いうちは我を忘れて夢中になる。

そういう時期が必要。そうしなければ自然農は豊かな時代の、あだ花になる。

世間的成功者はもうじきに出てくる、そう思っています。

 

二日目 午前中

「自然農と商売」へと

つづきます!

 

<運営者:さいとうのりこ>